IMD(下):人としてのエネルギーを高めて、チャレンジすることで成長する|事例紹介|人材育成研修・セミナーならグローバル・エデュケーション

INTERVIEW 事例紹介

IMD(下):人としてのエネルギーを高めて、チャレンジすることで成長する

IMD 高津尚志 様

海外ビジネススクール

DEEP DIVE対談:IMD高津氏×グローバル・エデュケーション布留川

「DEEP DIVE INTO パートナー」
グローバル・エデュケーションの、個性豊かで才能溢れるパートナー講師や教育機関の方々に、代表の布留川勝がカジュアルタッチで考えを聞いていくシリーズ。人材開発担当者向けセミナー、グローバル人材育成研究会(G研)の終了後にアフタートークとして収録が始まったこのシリーズ、パートナーの人となりが知れると好評につき、続けることになりました。カジュアルトークの中からにじみ出る、各対談者の個性や信条、お楽しみください。

IMDは、スイスに根差し、世界に展開するビジネススクールです。幹部教育(エグゼクティブ・エデュケーション)に特化したプログラムでは世界トップクラスの評価を得ています。今回は、当社代表の布留川がIMD北東アジア代表である高津尚志氏にお話をお伺いし、多岐にわたる話題をお話いただきました。前半の記事はこちら


変われない50代は犠牲者なのか?自己責任か?

布留川最近の日本経団連会長の「正直言って経済界は終身雇用なんてもう守れないと思っている」という発言や、トヨタ社長の「変われない50代はもういらない」という発言はどのように聞こえますか?年功序列や終身雇用を推進してきた企業のトップからこのような言葉が出始めるというのは今まで見られなかった状況だと思うんです。これに加えて、2020年の東京オリンピック後の景気後退も心配ですし、そのうち団塊の世代も70代80代になって医療費負担が激増する。日本の将来に悲観的になる非常に多くの材料があります。

高津私個人のレベルに引き寄せてお話すると、私は平成元年に社会人になり、現在50代前半です。私と同じ年齢の人たちにも様々な立場や境遇の人がいますが、一般的には人数の多い「バブル採用」層として、難しい時期だと思います。私は「どうしたらエネルギーのある人生を歩めるのか?」という問いが一個人、企業、そして国家にとっても、すごく重要なことのような気がしています。もちろん人によって違うのですが、何か面白いものに触れた時や素晴らしい人に出会った時、思わぬ成果を出せた時には、エネルギーが湧きますよね。でも逆に、毎日自分があまり信じていない仕事を繰り返す中にはエネルギーは生まれない。私自身が最近アフリカのルワンダやケニア、中東のドバイ(UAE)などあちこちに行って感じたのは、日本では人のエネルギーが低下していませんか?ということでした。今後、今まで身を置いてきた会社から出なきゃいけないという人がさらに増えた時、その人たちがどういうエネルギーを持って次に何に取り組むのかということは、社会全体にとっても課題です。エネルギーが落ちてしまうと人間は心身を病みますので、マクロ的に捉えれば医療費が上がるということになりますし。

布留川そうですね。「変われない50代」と言われる人たちの5割や6割以上は、経歴としては一流大学を卒業して一流の大企業に入社した人だと思うんです。その人たちがなぜ「変われない」と言われるようになったかは、個人的な問題もあるかもしれませんが、社会構造や会社の方針の影響も多々あると思っています。しかしその一方で、周りには流されずに自己研鑽して自分を成長させていった自立的な人もいるわけです。「変われない50代」になってしまった人は犠牲者だと思いますか?それとも自己責任なんでしょうか?

高津半々ですかね。犠牲者であるという部分もあるんだと思います。大きな企業に入れば人事権が会社に握られているというケースが多いので、自分がどこの部署で何を次にやるのかということに関して、ご本人にあまり決定権がなかったというケースが多いと思うんですよ。主体的にというよりは、「仰せつかりましたので真摯に取り組みます」、というモードでやってきたわけですよね。高度経済成長の時代であれば、それでも機能しましたが、今はそうではない。そういう意味では仕組みとその変化の犠牲者だと言えます。一方で、その仕組みの中でも溌溂とやってきた人もいるわけです。自分で仕事を作ったり、自分で異動を画策したり、生き生きとやっている人たちもいます。半分は悲劇の犠牲者だが半分は同じ悲劇の主体者であるという捉え方ができる。自分は社会構造の被害者だったかもしれないけれど、その中でも主体的に動くことは出来たかもしれない、ということを受け止めて見つめることが、次のステップにつながると思います。それに気づいた時、その人は次のステップで、今度は自分でやろうとか、自分で積極的に動いていこうと考えられると思うんですね。

 

エネルギーを高め、チャレンジすることで力をつける

高津一方で、アフリカに行った時にすごく元気な20代から30代の日本人に会いました。大手の商社や銀行に勤めていたけれど、もっと手触り感のある仕事がやりたいとか、成長する経済に貢献したいとか、社内の意思決定に時間がかかりすぎて思うように仕事ができないとかで、会社も日本も出てアジアやアフリカの自分が活躍できるところに移ったんです。ルワンダのマカダミアナッツ工場の経営チームの一員として働いていたりします。そういう人たちはものすごくピリッとしています。で、もしかすると、そういう人たちと触れることによって、エネルギーが低下してしまった50代の人たちが自分の中にある闘争本能や好奇心を蘇らせることが出来るかもしれない。エネルギーのある人と触れ合わないと、エネルギーがないのが当たり前みたいになってしまう。これは危険なことです。

布留川会社でエネルギーはないが権限はある人が自分の上にいるというのは、そのようなエネルギーのある若者には最悪の場所ですね。残念ながら、日本の会社ではそういう状態が今でも続いていることがありますよね。

高津優秀で経験も積んで、昇進して、しかし今は身体や心が動かなくなっている人は、例えば現場からの情報が資料にまとめて送られてきても、そこに書かれた現場感が分からないしそこに自分で行こうともしないから、どちらかというとあら捜しをする方に目が向きます。人間はリスクに敏感に出来ているので、リスクばかりに気が取られてしまって、結果的に、誰にも悪意は全くないのに最後はプロジェクトが潰れてしまう。特に日本企業の海外拠点で働く人たちからは、日本の本社とやり取りしているうちに本社の意思決定が遅くてビジネスチャンスを逃してしまうという話を聞きます。同じことは他の先進国の大企業でも起こっていますが、長幼の序、本社が上で拠点が下、といった縦構造が働きやすい日本の組織では影響はより深刻です。

布留川例えば、ネスレのような典型的なグローバル企業では、20代・30代からどんどん国外で経験を積ませていますよね。そういう時期に、たくさんの経験を積み刺激を受けていると、40代・50代になって差が出てくる、ある意味ピリッとしたままでいられると思いますか?

高津それはあると思います。人の成長力や可塑性は見くびるものではないと思っています。例えば、文化、言語、ビジネス慣行も違う国で試行錯誤しながら結果を出さないといけない状況に直面した時、人はやらざるを得ないし、やるようになります。そういう経験を数回やってきている人と、一生で1回しかやってきていない人とでは、可塑性、対応力や成長力が違ってくるはずです。現在、大企業でも従来の人事のやり方では会社がこれから成り立たなくなるとして、抜本的に人事制度を改革して、社員一人ひとりが自分の考えでキャリアを考え、築いていけるようにしようとしています。キャリア形成に一人ひとりが責任を持ち、そのための行動や学習を会社が支援をする、という考え方です。ある意味、崖っぷちです。でも、例えばスキーだって、ある段階を超えると、転ぶかも知れないけれど急斜面やコブのあるところを滑降していかないと上達しないですよね。いままでのコンフォートゾーン(快適域)から出ていく挑戦をして、自分の力をさらに引き出していくことが大切だと思います。経済界が日本型雇用慣行の終わりに言及し始めたことは、しんどいけれど、むしろチャンスとして捉えるのがいいと思います。

3種類の参加者:Tourist, Prisoner, Learner

布留川日本人は海外からは消極的だと思われがちです。IMDでは日本人の参加者はどのように思われていますか?

高津日本人に限ったことではないのですが、私たちはIMDのエグゼクティブプログラムの参加者には3種類いる、と言っています。ツーリスト(Tourist)、プリズナー(Prisoner)、ラーナー(Learner)の3種類です。ツーリストは物見遊山です。プリズナーというのは囚人ですから、人事や上司に言われたから参加しているけれども、本当はオフィスで仕事していたいんだよね、という人たちです。ラーナーは学習者です。

当然IMDとしてはすべての方々にラーナーとして来てほしいと思っています。私が丸9年IMDにいて、この間に日本人参加者の評判は上がっています。ラーナーとしてプログラムに参加してくださる方の比率が高まっている、と感じています。以前は、日本人が一定数以上になると授業が成り立たなくなるから断りたい、というようなことを教授から言われたこともありました。英語力の不足、コミュニケーションスキルの不足、そしてそもそも何のためにここで何を学ぶかという積極性、問題意識、ラーナーとしての姿勢の欠如が課題でした。しかしグローバル・エデュケーションさんのようなパートナーも含めて、私の方でも参加前にIMDで学ぶことの意義やラーナーとしての姿勢や行動の大切さ、求められるコミュニケーション能力のレベルなどをクライアントの参加者本人、上司、人事の方などに対して強調し確認するようになりました。その理解も深まり、よい方向にあると思います。

布留川:IMDのような多国籍のエグゼクティブが集まる場はどのような学びが起こっていますか?プログラムに積極的に参加する、というのはどういう状態なのでしょうか?

学びのパターンが違う人たちに、どうしたら最高の学びを提供できるのか?

高津IMDのプログラムは、教育手法の多様性が特徴です。クラス全体での講義と議論、5-6人の小グループでの議論や発表、俳優学校の先生とのコミュニケーション演習、スイスの山での野外リーダーシップ演習、デザインシンキングの実践、一対一やチームでのコーチング、コンピューター・シミュレーション、オンライン学習。こういった様々な手法を、プログラムやセッションの目標に応じて組み合わせています。これは、エグゼクティブが様々なコミュニケーションや思考のパターンを持つことが必要、との考え方の具現化であり、一方、学びの形は人それぞれである、ということへの配慮でもあります。大教室でも積極的に手を挙げて発言することは、できないよりはできたほうがいいと思いますし、訓練で身に付けられるスキルです。でも、それだけがエグゼクティブの絶対条件でも唯一の学びの形でもない、と思っています。教授や他の参加者の話を熱心に聞いて、なるほど、とメモを取りながら、小グループでは自分の意見の表明とファシリテーションの組み合わせで議論に貢献する、というスタイルもありますし、大事なことです。日本人の場合は、現在のところ「大教室で積極的に」はまだ不得意だが、「小グループでの貢献」はしっかりやる人が多くなった、というのが、IMD教授陣の見方です。

今回ドバイでのプログラムでは、日本、中東、アフリカ、ヨーロッパからの参加者が多かったです。中東からの参加者もみんな結構静かでした。だから授業中に、20人や50人の大教室で手を挙げてどんどん話すという感じではない参加者も多いんです。そうすると、教授が戸惑うんですよ。でも、僕はそれはIMDにとっていいことだと思っています。本来は学びのスタイルは多様です。この約20年間を振り返ると、世界的には米国流の、話し合って学ぶとか、大教室で勇気をもって発言できる、といった外向的な学びが強調されてきたと思うのですが、IMDでは内向的な文化から来る人の学びも最大化できるようなファシリテーション技術を向上させる必要を感じています。外向性と内向性、どちらかだけで学びが成り立つという話ではなくて、両方の学び方が大事だという話だと思うんです。また、エグゼクティブとしてのコミュニケーションも、多くの人数の前で演説をできるスキルも、少人数でじっくり省察をできるスキルも大事です。一方的にある特定の学び方やコミュニケーションスタイルを押し付ける、というのは、時代とちょっとずれ始めていると思います。今回、ドバイでのプログラムを通じて、IMDの中でも、学びのパターンが違う人を集めた時に、どうしたら最高の学びを提供できるのかということに関する思考が進むと思います。また、エグゼクティブのコミュニケーションの在り方の多様化や変化に関する探究も進むと思います。それは世界経済の中心がアングロサクソン、欧米からアジア、中東、アフリカに遷移している中で、ビジネススクールとして必ず対応すべきことだと思っています。

日本特殊論はやめたほうがいい

布留川:エグゼクティブ・エデュケーションでは、自分自身の在り方、Who you are的な内省も重視していますよね。アメリカはかなりその傾向が強いと思うのですが、欧州の人にとってWho you are的な内省は大事なことですか?日本も大事だとは言えるけれど、どちらかというと大企業のどこに属しているということで満足して、あなたは何者であるかということはあまり問われてこない人生です。どちらかというと競争的な社会ではそういうものが問われてくると思うのですが、ヨーロッパはどうなのでしょうか?そのあたりはビジネススクールのプログラムの組み合わせ方としてはどのような位置づけになっていますか?

高津:今回私が、特に中東やアフリカに実際に自分が身を運んで感じたことからお話をすると、人間ってそんなに変わらないです。どこの国の人も同じです。もちろん、文化的な差異は細かいレベルでは色々あるのですが、どの国の人もすべからく幸せになりたいと思っているし、キャリアでは成功したいと思っているし、家庭とか友人関係でも充実したものを得たいと思っている。そういう意味では人間は変わらないです。自分自身のことを理解していて、人のことを理解していて、世界のことを理解していて、それから社会のあり方を考える、というセットはどこの国の人にも重要だと思っているんです。だからこそ自分を知るといったようなアセスメントや、それに紐づくコーチングは、世界のどこからの参加者も、すごく良かった、役に立ったと評価してくれる。だからこそ、IMDの中でもプログラムの根幹としてやっています。そこに気づきが多いのは、人間のものすごく深い部分での共通項に対して提供しているものだからだと思うんですよ。

布留川:ということは、日本人が極端に自分自身の在り方をあまり考えない人たちということではないということですか?そんなに変わらないですか?

高津:日本人が、という一般化は難しいです。先ほど申し上げたように、50代でも社会構造の犠牲者にならず、自ら道を切り拓いている人たちもいらして、おそらくそういった方々は自分自身の在り方をきちんと考えてこられたのだと思います。ただ、あいにく、布留川さんのおっしゃる「Who you are的な内省」を促す学びの場が日本ではかなり未整備です。だから、日本人参加者が特にこの部分についてIMDで学ぶ意味を強く感じてくださっている、という状況はありますし、日本のあるクライアントからも、IMDでの5日間のカスタマイズプログラムの中でそういった部分によりフォーカスしてほしい、といったご相談を受けています。米国はかなり日本と立て付けが違う社会なので、米国だけをベンチマークとし続けると、日本は間違えると思います。例えばヨーロッパ諸国やアジア諸国、アフリカ諸国も、国によってニュアンスの違いとかもありますよね。IMDでは、そうやって様々な文化的なニュアンスがある人たちが集まりますし、その人たちみなさんに学びのインパクト、ビジネスへのインパクトを提供したい、という前提があります。そうすると、人間に共通した部分というものにフォーカスせざるを得ないです。日本や日本人があまりにも特殊であるという見方はもうやめたほうがいいんじゃないかなと思っています。

布留川:日本特殊論のように、自分たちがそう思いすぎているということはあるかもしれませんね。

高津:いろんなリサーチでも出ていますが、国ごとの文化的な差異よりも、社会のどのような階層にいるのかや、どのような職業をしているのかということによる差異の方が大きいと言われています。つまりグローバルファームに勤めている会計士のようなプロフェッショナルたちはどこの国にいてもだいたい同じようなものの考え方とかライフスタイルだったりするわけですよ。かえって、同じ国の小学校の先生との方が差異が大きい。また、重厚長大企業の生え抜きのエンジニアの人たちは、ドイツ人であれスイス人であれ日本人であれ、相違点より共通点のほうが多い。そう見ていったほうがいいと思います。日本人はどちらかというと、先生からレクチャーを受けて、それを静かに受け止めるといったタイプの教育を受けてきたという事実があります。その学びのスタイルは、アメリカのように教室でみんなで話し合うスタイルとかなり違うので、そのギャップを埋めに行くのがかなり大変でした。それがこの数十年間起こってきた議論です。ただ、幸か不幸か、先生の言うことをよく聞いて学ぶというような教育を受けてきているのは日本だけではなく、韓国、中国、それから中東やアフリカのいくつかの国でも似たような状況なんですよ。そう考えてくると、日本だけが特殊だと考えることはなくて、世界にはいくつかのパターンがあると考えたほうがいいような気がします。そのうえで、これからのグローバル社会で活躍するエグゼクティブに必要なコンテンツ、学びの形、コミュニケーションの形を見極め、身に付け、高めていくことが大切だと思います。

 

今の日本は世界にモデルを探すということをどれくらい真剣にやっているか?

高津:ジャレド・ダイアモンドさんが面白いことを言っています。彼は明治維新の時の日本に学ぶところが大きいと言っています。あの時に日本人は、日本語を維持することを決めた、それから漢字カタカナひらがなという文字体系を堅持することも決めた。もちろんその時に日本語をローマ字表記にするという考え方もありましたが、そうはしなかった。いくつかの日本の伝統的なやり方を残すことを決めた。一方で、例えば鉄道システムや憲法や軍隊に関しては、世界中の優れたモデルを探した。モデルを持ってきてそれを日本流にアレンジすることによって明治の急速な産業国家に変わっていった、というところから学ぶところが大きいと。彼は、モデルを引っ張ってくる力と選択的に使う力が大事だと言っているんですよ。だから、教育の仕組みや企業の人事のあり方も、モデルの選択的な取り込み方を通して、どうやったら自分たちの今までの文脈を尊重する形で新しいことに挑戦するのかという議論じゃないかなと思っています。

布留川:それは非常に面白い、確かにそこですよね。明治維新の時から海外のノウハウや考え方、ビジョンをうまく取り込んできたのが日本ですね。

高津:ジャレド・ダイアモンドさんは同時に、今の日本はどうですか?とも問うています。今の日本は世界にモデルを探すということをどれくらい真剣にやっているでしょうかと。それから、自分たちの中で変えるべきものと変えないほうがいいものという峻別をどれだけ真剣に行っているでしょうか、ということを突き付けています。私は恐らく日本企業の進化についても同じことが言えると思っています。

現場を見て、手触り感を大切にする

布留川:高津さんとお話していると面白すぎてしまって(笑)。最後にお伺いしたいのですが、今の日本企業のビジネススクールへの派遣の人選決断はどのように見えますか?一人に対しての金額としてはかなり大きな投資をするわけだから、人選も含めてかなりの真剣度をもって取り組みたいところですが、どうでしょうか?

高津:良い方向になってきていると思います。先ほど申したように、ラーナーとして参加する方々が増えているので。しかし、課題としては、プログラム導入の決定や、候補者の決定にものすごく時間がかかるというのはあります。なぜ時間がかかるかというと、それはやはり現場感の欠如なんですよ。誰もIMDや他のビジネススクールに行ったことも見たこともないという状況で、大きな投資をするというのはしんどいですよね。だから、検討する時に、例えば人事の方などがIMDなり他のビジネススクールなりを訪問してみたり、できればプログラムに、実際に参加してみたりすることが大事なんです。そこで実際に体感すると、ああこういうことか、それだったら人選にはこういうことを工夫しないといけない、参加前にこういった意識づけをしないといけない、戻ってきてからこういったサポートをしたほうがいい、といった具体的な思考が進みますし、ハードルやそれを乗り越える方法も見えてくるはずです。実際に見ないままで進めると、すごく抽象的な議論になり、実行段階で空転しやすくなります。

布留川:見た人が決定のプロセスに入っていれば、説得力もありますよね。物でもなんでもそうですけれど、買う時はそれがなんであるか分かっていないと決められないですからね。

高津:だから私としては、人事の方に限らないですが、何らかの形でヨーロッパに出張した時にもしお時間を作っていただけるのであればIMDに半日でもいいから来ていただきたいと思っています。私たちの方できちっとご案内するようなプランを作って、実際に見ていただいて、なるほどこういうことかと納得をした上で使っていただくのがいいと思います。また、日本でも定期的に、教授が日本に来た際などに、公開セミナーなどをやるので、そういうのにお越しいただくというのもあると思います。もちろん布留川さんのところで、グローバル人材育成研究会のような機会を作っていらっしゃるケースもあり、私もグローバル・エデュケーションさんとのコラボレーションに手応えを感じています。そういう場での手触り感、臨場感はやっぱり大事だと思うんですね。

布留川当社でも月に1回、グローバル人材育成研究会でビジネススクールやトップ講師をお呼びして実施しているのは、実際に人材育成担当者の皆さまにご体験いただいた上で意思決定いただきたいからです。今日は貴重なお話をありがとうございました。

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お話をお伺いしたのは

IMD北東アジア代表

高津尚志 様

経営幹部育成で世界トップランキングを誇るスイスのビジネススクール、IMDの日本・台湾・韓国における代表。日本企業のグローバル経営幹部の育成施策の設計や提供に従事。

早稲田大学政治経済学部卒業後、1989年に日本興業銀行に入行し、その後ボストンコンサルティンググループ、リクルートを経て現職。仏INSEADでMBA取得。桑沢デザイン研究所基礎造形専攻修了。主な共著書に『なぜ、日本企業は『グローバル化』でつまずくのか』『ふたたび世界で勝つために』(ともに日本経済新聞出版社)、訳書に『企業内学習入門』(シュロモ・ベンハー著)がある。

【IMD】
スイス・ローザンヌを拠点とした、トップクラスのランキングを誇るビジネススクール。企業の幹部教育(Executive Education)に特化したビジネススクール。世界的な専門チームで、リーダーを育み、組織を変革し、即効性と持続性を伴うポジティブなインパクトを生み出す。