布留川 勝の人材育成の現場日記

茹で上がってしまったら終わり

2015/05/01

エッセイ

グローバル人材育成

パーソナル・グローバリゼーション

先日明治大学アイセックの大学生と「グローバル人材の要素」について2時間ほどセッションを持った。企業の新入社員から役員とのセッションはかなりやっているが、学生とのセッションの機会は少ないので自分にとっても勉強である。

アイセックは国際交流団体なので、今回の参加者も全員海外でのインターン経験者、あるいはこれから経験する。そういう意味ではグローバリゼーションへの興味と意識は普通の学生よりは高いし、健全な危機感を持っている。これは以前セッションを持った早稲田大学アイセックも同じだった。バブル期の大学生と比べるのも極端すぎるが、傲慢さもお気楽さもなく現実を冷静に見ている。
その一方今を楽しんでいるだけで意識の低い学生も多いとも感じているようだ。

日本の若者に関して、私が気にしているのは米国に集まる多国籍の学生に比較するとおとなしく、明確なビジョンはあまり持たないし、価値観の幅があまり広くないことである。
仕事で米国の大学院生などと交流を持つことがあるが、米国人も米国人以外の学生もアイデンティティーを感じるタイプが多い。何か目指すものを持っている。ただ大企業に入りたいというのとは少し違う。

日本の大学生と米国や新興国の若者と大きく異なるのが「みんなと同じか少し上」を目指すマインドセットの多さである。突き抜けた上を目指さず「そこそこがいいという価値観」である。
この社会主義的価値観は中高年から若者まで浸透していて、財政赤字1,300兆円の国とは相性が良くないのではないかと常々感じる。

真面目さ、勤勉さ、協調性、礼儀正しさ、他者への気遣いなどは日本人は他国に引けを取らない強みである。
ただ若者はあまり欲がないし、現状にとりあえず満足なのは「茹でガエル」的である。

そして高度経済成長期に一生懸命働き現在の安定した基盤作りに大きく貢献した団塊の世代があと10年で75歳になり、国民の負担増は未知の領域に入る。今の大学生が30歳前後になると、消費税も10%以上になり、所得税と社会保障にも貢献する。ありがたいことだが負担が重過ぎて今よりさらに節約型になるのは間違いない。すなわちお金を使いたくない人が増え景気は悪くなりネガティブなスパイラルに入る。

だが人口を増やして景気を上向きにし、個別の負担を減らすために移民を増やすという選択は国民の理解が得られないだろう。
大手企業のワークショップで移民の是非を問うと、80%以上が反対である。しかし、膨れ上がる社会保障費を誰がどう負担するのか別に代替案があるわけではない。
本来であればこういうことを考えるのが政治家であるが、票が取れないテーマであるからいまだに優先順位は低い。

今回集まった参加者は、海外インターンで日本の素晴らしさもぬるま湯的社会の危なさも見えてくるだろう。もちろん真剣に取り組めば、の条件付きである。就職活動の一環としてという姿勢では何もつかめない。
世界のリアリティを感じて、居心地の良い場所から飛び出していかない友人にもその感覚を伝えてほしい。
「茹で上がってしまったら終わり」なのだ。

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