布留川 勝の人材育成の現場日記

日本人と英語

2011/05/26

エッセイ

newsweek5月25日号のニューズウイーク日本版のカバーストーリーは、「日本人と英語」である(私もインタビューを受けコメントを述べさせて頂いている。)

冒頭にこうある。
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ある有名経済誌に、日本の若者の英語力を憂う財界人の提言が寄せられた。「国際ビジネスに携わるにはまず外国語を巧みに操る必要がある。教師の質の向上と学生の努力が必要であり、1クラスの人数を減らすのも一案だ。文法ばかり重視して実践練習を怠っていては畑の真ん中で泳ぎ方を研究するようなものだ。」
2011年の話?いや、これが書かれたのは日露戦争直後の1907(明治40)年。
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私は思わず唸ってしまった。

私がグローバル人材育成の仕事に携わり始めたのが25年前の1986年であり、その時期も企業における国際人材育成のボルテージは高く、商社、金融、メーカーを中心に億単位の経費を使いMBA派遣から英会話レッスンまでほとんどバブル状態であった。そして、25年が経過してどれだけの進歩があったのかに関して今だに首をかしげる場面に多く出くわす。その時期のMBA取得者は転職し、新入社員1ヶ月間英語集中合宿を受けた部課長の英語力は世界でも最低レベルである。
危機感を持った人材育成担当者がグローバル人材=英語のできる人ではない」と主張し、「グローバルでファンを作れるような人材育成プログラム」を社内提案しても、上層部の「英語ができれば何とかなるよ。」の一言で「英会話レッスン」に化けてしまう。
もちろん英語力はグローバルビジネスにおいて必須である。何の疑問の余地もない。むしろ英語が必要かどうか、管理職のTOEICは最低何点かを議論に時間を費やしていることが奇異なのである。

60億人に膨れ上がった市場経済圏で人材として生き残る には、OSとしてWindowsも英語(点数だけではない)も同じように必要なのだ。
そして、それ以上に「ビジョンを描く力、論理的で、創造力に富み、全体を俯瞰できる思考力、多様性をダイナミズムに変える力、コミュニケーションのツールを巧みに使い分ける力、自らを常にに高めていく自己強化力」が求められているのだ。

100年経っても同じ議論を繰り返す愚かさと25年経っても同じ「グローバル人材=英語のできる人」という非論理的主張がまかり通る企業。

どこか似ていると思いませんか?


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